船の原鎮守神社

祭神 菅原道眞  武内宿弥 應神天皇

祭日 七月三十一日   十二月十六日

由緒   黒髪山の末寺理智院に、天正十五年(1587)鎮守神として武内宿弥を祀る。
    天和三年(1683)、船の原の住人橋口忠次郎長矩が菅原道眞を祀る天神社を創建した。
    この二社に、宮地嶽大神宮(文政十年設立)と八幡宮(設立は不詳であるが文政四年設立の献燈がある)
    とを合して、明治四十一年(1908)天満神社として新境内を造成し、社殿を新築した。
    毎年、秋祭りには、県重要無形文化財かんこ踊りと浮立が奉納される。


佐賀県武雄市山内町船の原地区に伝わる
『 かんこ踊 』

佐賀県重要無形文化財指定で、今年9月23日
船の原鎮守神社で、奉納される。

   『 かんこ踊 由緒』

 かんこ踊は、正治(西暦1,200年頃)中平六代武雄後藤家援助によって、平家壇ノ浦の戦いで落ちのびた平家一門が、この山里の船の原地方に隠れ、浮世をしのびつつ徒然なるままに平家家風の手踊を踊られたのがかんこ踊である。
 現在全国では、伊勢と船の原のニ地方だけにかんこ踊と呼ばれる踊が伝わっている。
 踊衣装は、各月形日形の模様のある烏帽子を戴き袖長の短き衣服を着、腰には小さい刀を差し、脛には脚絆、足には足袋草鞋をはいて、踊は大神楽に似て歌少なく手様が多い、すなわち古雅極まる踊の様である。
 言い伝えによると、昔公卿様が居られて酔うとすぐに立って「かんこかんこ」と踊られた、そのためか烏帽子姿で踊る。
 今では、毎年、土地の鎮守の神に、雨乞祈願、豊作の祈願や予祝に奉納され、代々若者に伝えられている。
 踊は、先もっしょ二人、後もっしょ二人、かき十数名、笛、鉦、地囃子方数名の他に幟や旗持ちなどである。
幟を先頭に、先もっしょ、かき、後もっしょの順に踊りながら庭に入り、しだいに円陣を作る、囃子方は後ろにほぼ一列に並び、本踊となり、先もっしょ、後もっしょの緩やかな踊の後、先もっしょ二人が 円陣の中央にすすみ向かい合って歌につれて踊出す・・・・・・・・・。


平成12年9月23日
船の原地区秋祭り かんこ踊出演者

山内町狩立・日ノ峯ダムが完成
平成12年10月1日より貯水試験が開始。

山内町 『狩立・日ノ峯ダム湖底祭り』出演 (ダム湖底)
平成12年9月17日

山内町産業祭鎮守の森に出演 
日時 平成10年11月15日()
場所 山内町中央公園