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窯元紹介


㈲副武製陶所

普段使いの器を中心に、手描きにこだわったもの作りをしています。生き生きとした線、こだわりの「だみ」等伝統の技術を取り入れ、新たなる商品づくりにも力を注いでおります普段の生活の中で使われる器。だからこそ手仕事を生かした心温まる、優しい器づくりをモットーに、日々励んでおります。
副武製陶所の展示場
~展示場~

㈲江口製陶所

創業から60年になろうとしていますが、その頃より業務用・家庭用の食器を中心に製造販売しております。技法は染付け、赤絵、青磁など様々です『今』の生活に対応した物づくりの開発も盛んにおこなっております。
江口製陶所のギャラリー
~ギャラリー~

新日本㈱

日用食器(土瓶・急須・湯のみ・茶碗など)に染付・銅版・赤絵と多々の手法により商品を完成させております。
ご注文後はスムーズに製造出荷いたします。大量注文も自信を持ちお受けします。
新日本の工場
~工場~

㈲副久製陶所

昭和28年 創業
昭和36年 有限会社副久製陶所設立。現在に至る
主に日用食器の製造(急須、飯碗、湯呑 ほか)

自分が造りたい器を造って、それがいろんな人達に好まれて使っていただける器を造っていけたらと思っています。
副久製陶所の工場と石畳
~石畳と工場~

㈲辻与製陶所

磁器から焼締まで、製品の幅は広い。10年程前からテーマを決めて新しい作品を制作しているが、昨年は従来の食器に加えて、エクステリア商品等も制作。今年は、インテリア商品としてミニ盆栽、蘭鉢等を制作中。また「そば猪口」は、染付、赤絵、しのぎ等技術を駆使してパターンだけでも500以上あり、画趣の深さと画題の豊かさが特徴である。
辻与製陶所前のトンバイ塀
~石畳とトンバイベ塀~

㈲副正製陶所

一つの器形に対して加飾のバリエーションを数多く展開するスタイルが当窯元の特徴です。また、和食器を専門としています。
茶碗、湯呑に染織の世界でも用いられるイッチン盛りの技法を 駆使して器に花模様等を浮き上がらせます。
温もりのある肥前磁器 を手にしてみて下さい。
副正製陶所の釉かけ
~釉掛け~

㈲副千製陶所

お茶の産地嬉野の吉田で、主に茶器を作っています。
今ではあまり見られなくなった一升土瓶(約1.8リットル)や長きにわたり皆様に親しまれております水玉土瓶なども今でも製作しております。
ここ数年は色々な形の一輪挿しや小さめの土瓶(約200cc)小煎茶なども作っております。
これからもいろんな茶器を作って、おいしいお茶の楽しみ方を提案していきたいと思っています。
副千製陶所の窯上げ前
~窯上げ前~

㈲ヤマダイ

佐賀県陶磁器卸商業組合員であると共に先々代社長が当組合設立発起人の一人であった為、窯元ではありませんが特例的に組合員として明治元年創業以来産地と共に歩んできた商社です。
業務用から一般家庭用および贈答引出物まで種々の対応が出来ますので皆様のご利用をお待ちしております。
ヤマダイの展示場
~展示場~


肥前吉田焼の歴史

モニュメント吉田には四百数十年の歴史が潜む

吉田焼の創業年暦は定かではありませんが、嬉野の陶磁器の歴史を紐解くと、天正5年(1577年)に龍造寺隆信公が大村の有馬氏攻略の際、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴谷川の川底に、白く光る石を発見したそうです。これが我が国最初の陶鉱石と言われています。
寛永年間(1624~44年)藩主鍋島直澄が隠居後、その遺業として吉田山の陶磁器業者を督励しました。享和年間(1801~4年)に入ると、副島弥右衛門が制限外の窯数を増し、事業を拡張して吉田焼の繁栄を促しました。
しかし、明治維新後は次第に衰微し始めたために、明治13年(1880年)に精成社を創立し、改良を図りました。その後、市場を中国や朝鮮に向け輸出用として日用食器の製造に励みましたが、時代の流れと共に国内向けになり、現在に至っています。
現在も、歴史と伝統を誇りに、肥前吉田焼の窯元は日々技術の向上に励んでいます。

年 号
西 暦
吉田の動き

天正5年


慶長3年



寛永20年

正保4年

承応3年


寛文年間




寛文2年


元禄14年

正徳2年


正徳4年

正徳5年

元文3年

宝暦2年

宝暦11年


安永7年

天明3年

文政12年

天保15年




明治9年

明治13年

明治14年



明治43年

大正13年頃


昭和2年



1577


1598



1643

1647

1654


1661~73




1662


1701

1712


1714

1715

1738

1752

1761


1778

1783

1829

1844




1879

1880

1881



1910

1924頃


1924



吉田左衛門家宗 陶石を発見


鍋島直茂、朝鮮より陶工を連れ帰りその中の一人に吉田で
陶器を作らせる


副島雲谷、吉田皿山に窯を開く

吉田皿山、大外山に入る

鍋島直澄、塩田の五町田と久間に窯業を始めた後、吉田にも窯を開く

鍋島直澄、有田南川原より副島、牟田、金ケ江、家永の四人を指導者として吉田へ招き小窯を廃止して二登りの大窯を作る。
また、製造と販売に便宜を与えた


鍋島直澄、医福寺を建て宿所として窯業を勤める


皿屋に「八天狗」を祀る 建立者 窯焼中

同              建立者 吉田新左衛門
大渡金兵衛外6名

副島茂右衛門 九十六歳で没

この頃から天草石が使われ始める

蓮池藩私領吉田山へ一ヵ年に土五百俵づつ渡す

吉田中通りの白岩山に窯を築く

吉田山へ五百俵の土を送る


吉田窯の弥兵衛、嘉兵衛、銀一両賜る

皿屋に「天狗谷」を祀る

窯焼が苦しいので借金を願い出る

鍋島直興、尾形惟晴を吉田へ遣わし窯を改築再興する
この頃鍋島茂右衛門(六代)藩主より運月の号を授かる



吉田から内国博覧会に陶器出品

副島利三郎、精盛社を設立

吉田村白岩山、皿山の窯業報告書



錦絵付けに成功する

石炭窯を築く


皿屋、大旋風被害甚大
戦時中企業合併により吉田製陶株式会社設立